「お父さん、人間ドックに行ってくるね。昨年何も無かったし、大丈夫だと思うけど」
そう言う妻を、私はいつものように「ああ、行ってきな」と送り出しました。
妻は大手化粧品メーカーを退職後、養母が亡くなり落ち着いてから社会福祉協議会や食生活改善推進団体のお手伝いなどを始め、介護ヘルパーの免許を取得、介護の仕事もしていました。PTAや地域活動にも積極的で、とにかく人とのお付き合いを大切にする明るい人でした。
「私、肺がんですって。咳も出ないし、熱もないし、いつもと変わらないのに」
人間ドックに行っていた妻からかかってきた電話は、本人も信じられないといった様子でした。それから2年間、抗がん剤治療をしながら普段と変わらず生活をしておりましたが、急変があり入院。お友達が次から次へとお見舞いにいらっしゃり、看護師さんからは「お友達が多いですね」と驚かれていましたが、2カ月半後、惜しまれながら眠るように息をひきとりました。
菩提寺の都合で葬儀は亡くなってから11日後でしたが、サン・ライフのエンバーミングを利用していたので、自宅でドライアイスも使わず綺麗な顔で眠っておりました。人望のあった妻ですので、たくさんの方にお顔を見て頂けたのは本当に良かったと思っています。
式までの間も、お友達が焼香に来て、『寂しくて仕方がないです。絶対に忘れません――』と、皆さんの温かな気持ちが伝わる寄せ書きをいただきました。その寄せ書きは柩に入れ、コピーは額装して私の手元で大切にしています。
多くの方にご会葬いただいた式の当日、旅立ちの衣装は娘たちが着物から足袋まで一式見立てた和服でした。娘2人も同じように和装の喪服、私は妻との結婚式で使用したモーニングを着用して見送りました。妻もきっと、たくさんの方に綺麗な姿で見送っていただけて嬉しかったのではないでしょうか。
一人一人がしっかりとお別れできるよう尽力いただいた、担当の山本さんには大変お世話になりました。サン・ライフで葬儀を行って本当に良かったと思っています。
いつか、妻がお友達と旅行した時に、宮ヶ瀬で撮影したビデオは大切な宝物となっています。画面の向こうで周囲を笑わせる妻の姿に、気持ちが明るくなる気がするのです。こうやって、夫婦でも旅行をしましたね。毎年春に二人で見に行った靖国神社の桜は、今年も綺麗に咲いていましたよ。