夫か末期の癌と宣告されて八年余、一度は下がった数値が毎月のように上がり始め、医師から命の宣告をうけた。「覚悟しなければ・・・」と心に言い聞かせた日々。 そしてやはり訪れたその日。平成二十年十一月十五日・・・・・。
しかし、覚悟や想定をはるかに超えた悲しみ、寂しさ、辛さの日々・・・
人が受けるストレスの中で、「配偶者の死」は100%で一位という統計を見たことがある。体験して「その通り」と実感した。多くの人がこの体験をしているのだ、と改めて人間の歴史を感じた。
海のそばで生を受け、育ち、海がこよなく好きだった夫は「海への散骨」を強く望んだ。遺言書には詳しく調べて「サン・ライフさんで・・」と希望していた。でも、私は写真のそばに置いてある、 この世でたったひとつ「夫」である遺骨を手放すことが中々できなかった。
一年後、定年退職後にゆっくりと・・・と思っていたが、ふとある日サン・ライフさんを訪れてみた。一年がかりで覚悟を決めるために。対応してくださった方は私をしっかり受け止めてくださり、 暖かく丁寧に接してくださった。そして何より、私のもがいている「悲しみの心」を共有してくださった。私はふと「夫も海の中へ行きたいのかも知れない・・」と思った。
そして、没後三年の六月二十三日。子どもたちと共に、夫の骨を海へ届けた。
船には、もうひと組のご家族がいらした。つい最近のご逝去とのことだった。こちらのいきさつを話すと、「偉いなぁ・・・」と励まされた。
セレモニーの後、砂のような真っ白な夫の骨が海へ沈み、花々がその上に重なって流れた。海の好きだった夫、花の好きだった夫、その夫が、暖かな海の懐に吸い込まれていくようであった。私の心も、広い海に癒された。
いないのに、いるような夫。いるようで、いない夫・・・夫との楽しかった生活があったことを心の中にしまって、これからを大事に生きて行きたいと思った。