化学工業メーカーの企業戦士として定年まで勤め上げ、在職中は休日もほとんど返上し、毎日が仕事漬けだった父。定年後、ようやく穏やかなセカンドライフを迎えることができ、母と2人で頻繁に国内旅行を楽しむ姿も見られるようになりました。お酒をこよなく愛し、90歳を過ぎても秋田県内の酒蔵から気に入った日本酒を取り寄せては、食事と一緒に盃を傾けていましたが、もともと心臓に持病があり、ある年には1年間に8回も救急搬送されたことも。その都度、リハビリに取り組んで主治医が驚くほどの回復力で九死に一生を得てきましたが、92歳を迎えていた暑い夏の日に脱水症状を起こし、心不全で太く長い人生を終えました。亡くなる1カ月前まで、元気に歩き回り、大好物のうなぎも堪能することができたので、父にとって悔いの残らない最期になったのではないのでしょうか。
両親揃ってサン・ライフメンバーズに入会しており、父と一緒に生前相談に伺ったこともありました。相談を終えた帰りに、父がぽつりと「これで最後かな」とつぶやいたのを聞き、今になって思えば自分の死期が近いことに気づいていたのかもしれません。
父は5人兄姉の末っ子で、兄と姉はすでに亡くなっているため、葬儀には母方の親族を中心に50名ほどが会葬。コロナ禍での見送りとなりましたが、遠くは大阪府内や埼玉県内からも親族が駆けつけてくれ、アットホームで賑やかに父を送り出すことができました。亡くなってから葬儀までの日取りが数日空いてしまったため、父の身体を衛生的に長期間保ってくれるエンバーミングを依頼。真っ白い装束を身にまとった生前同様の表情の父を見て、母も感動を覚えた様子でした。
父の葬儀を無事に終え、精算をするために改めてサン・ライフのホールを訪問。その際、ホールに併設された仏壇店で偶然目にしたのが、お墓と仏壇の両方の役割を兼ねているオリジナル供養墓「永遠の住処」(とわのすみか)でした。両親ともに、先祖代々のお墓を守ってきてはいたのですが、高齢の母は歩行にも困難な状況。それでも山の上にあるお墓に参っては何度か転倒してケガを負ったこともあり、かかりつけ医からは、今度転んだら歩行ができなくなる恐れもあると釘を刺されていました。
仏壇店で接客してくれたスタッフの関野さんは、父を失った悲しみを十分に癒す暇もなく、葬儀後の諸手続きや四十九日法要、納骨などについて思案しなければならない私たちに対して、迅速かつ丁寧に応対してくれました。供養墓はコンパクトなサイズでお手入れも簡単、粉末化したお骨を真空パックと専用のケースに納めるため、カビや臭いの心配もないというところが私たちの希望にあっていました。また、セットで展示されていた仏具やおりんがとても気に入ったこともあり、母の了解を得たうえで購入する決断をしました。
今は自宅のリビングで大好きなお酒のローソクと一緒に置いていますが、母は父に手を合わせて「いつでもそばにいてあげることができる」と大変喜んでいます。あの日、ふらりと立ち寄った仏壇店で関野さんと巡り合い、供養墓を購入したことでようやく私たちの気持ちも落ち着きました。母共々感謝しています。