二月四日は立春、春はそこまで来ていました。
猫の額程のわが家の庭の紅梅と白梅が今咲きほころうとしていますのに、この梅を見る事もなく「ありがとう」のひと言を残して、去る二月十二日の払暁、夫は逝ってしまいました。静かにやさしい笑みを残しての別れです。
四年余の闘病生活は、老々介護の夫婦にとりましては本当に悲喜こもごもの日々でした。私は必ずやって来る「お迎え」の覚悟と準備は出来ていたつもりでしたが、いざとなると慌てる事ばかり。かねてよりサン・ライフさんの会員にさせて頂き学んで参りました事がどんなに力強く感じた事か、本当に一から十までお世話になり心より感謝いたしております。ありがとうございました。
お花がいっぱいの祭壇での家族葬も、お心の行き届いたお手配のおかげで無事にすませる事が出来ました。主人もきっと喜んでくれている事と思います。
別れの言葉「さようなら」は「左様ならば」が略されて挨拶となったとか。「左様ならばそういう事であるならば、本当は別れたくないけれど、どうしてもそうならなければいけないのであるならば」これが語源と聞きました。「さようなら」は悲しく淋しいけれど、最高に美しい日本の言葉だと思います。
エンバーミングをして頂き、まるで生きているような寝顔。
「さようなら!さようなら!安らかに眠って下さい。」
私は何回も何回も夫に声をかけました。聞こえましたか?近い日に私もそちらに行く事になるでしょう。それまでのさようならです。「こんにちは」と言ってあの世で逢えるでしょうか?