
「終活」への関心の高まりとともに、人生の最期を自分らしく迎えたいと考える人が増え、「尊厳死」という言葉が注目されています。しかし、その正確な意味や安楽死との違い、法的な位置づけ、メリット・デメリットなど、多くの疑問を抱いている方もいるでしょう。
この記事では、尊厳死の基本的な定義から、関連する用語との違い、日本における法整備の現状、そして尊厳死を考える上で重要な「リビングウィル」まで、網羅的に解説します。尊厳死について正しく理解し、ご自身の生き方や最期について考える一助となれば幸いです。
「尊厳死」とは?
尊厳死とは、現代の医療では回復の見込みがない末期状態の患者が、自らの明確な意思に基づき、延命のためだけの医療措置を断り、人間としての尊厳を保ちながら自然な死を迎えることです。
その根底には「最後まで自分らしく、尊厳を持って生を全うしたい」という考え方があります。延命治療は行われませんが、死をもたらすための積極的な医療行為は行いません。あくまで本人の意思が最大限に尊重されることが大前提となります。
尊厳死が注目される背景と社会的意義
尊厳死が注目される背景には、いくつかの社会的要因があります。超高齢社会が進行し、多くの人が終末期医療を身近な問題として捉えるようになったことが大きな理由の一つです。
また「自分の人生の最期は自分で決めたい」という、個人の意思を尊重する価値観が社会に広まったことも影響しています。過度な延命治療に対する疑問や、それに伴う医療費の問題も、尊厳死への関心が高まる一因です。こうした中で、終活の一環として、元気なうちから自分の最期の迎え方を考えておくという意識が芽生えています。
尊厳死と混同しやすい関連用語との違い
尊厳死は「安楽死」や「リビングウィル」といった、よく似た言葉や関連する用語と混同しやすいです。ここでは、混同しやすいこれらの言葉との関係性や相違点を解説します。
「尊厳死」と「安楽死」の明確な違い
尊厳死と混同されやすいのが「安楽死」ですが、両者には決定的な違いがあります。安楽死とは、患者が耐え難い肉体的苦痛から解放されることを目的に、医師などが薬物を投与するといった積極的な手段を用いて、患者の死期を早める医療行為です。
尊厳死が延命治療を「行わない」ことで自然な死を迎えるのに対し、安楽死は死に至らしめる行為を意図的に「行う」点に違いがあります。
現在の日本では、安楽死は法的に認められていません。医師が安楽死を行うと、嘱託殺人罪や自殺幇助罪に問われる可能性があります。一方、オランダやスイスなど、一部の国や地域では厳格な条件の下で安楽死が合法化されています。
「リビングウィル(事前指示書)」と尊厳死の関係
「リビングウィル」は、将来自分が病気や事故で意思表示できなくなる事態に備え、終末期医療における延命措置への希望などを、あらかじめ書面で示しておく事前指示書です。
尊厳死を望む場合、本人の意思が確認できなければその選択は尊重されません。そのため、リビングウィルは、自分の意思を医療者や家族に明確に伝えるための重要な手段となります。主な記載内容としては「人工呼吸器や胃ろうといった延命措置を希望しない」「苦痛を和らげる緩和ケアを最優先してほしい」といった内容が挙げられます。
日本ではリビングウィルに明確な法的拘束力はありません。しかし、本人の意思を示す重要なものとして、医療現場では最大限尊重される傾向にあります。
「自然死」「平穏死」との違い
「自然死」とは、老衰や病気などにより、人工的な延命治療を行わずに自然の経過に任せて死を迎えることです。尊厳死と非常に近い概念ですが、尊厳死が本人の「明確な意思表示」をより強く重視するのに対し、自然死はより広い意味で使われます。
一方「平穏死(へいおんし)」とは、過度な医療介入を避け、身体的・精神的な苦痛をできる限り取り除きながら、文字通り穏やかに迎える死を指します。これは、本人の意思に基づいて自然な死を目指す尊厳死が、実現しようとする死の状態そのものと捉えることもできるでしょう。これらの言葉は、いずれも人間らしい最期を願う点で共通しています。
尊厳死を選択する意義と抱える課題
尊厳死は、個人の意思を尊重し、自分らしい最期を迎えるための選択肢の一つですが、その実現には多くの課題も存在します。尊厳死を考える上では、その意義と、向き合わなければならない倫理的・社会的な課題の両方を理解しておくことが不可欠です。ここでは、尊厳死の光と影の両側面について解説します。
尊厳死を選択する意義
尊厳死を選択することには、個人や家族、社会にとっていくつかの意義があると考えられています。
まずは何よりも、本人の意思が尊重され、人生の最期まで自分らしくあるための選択ができるという点です。過剰な延命治療による身体的・精神的な苦痛から解放され、穏やかな最期を迎えられる可能性があります。
また長期にわたる看病や医療費の負担が、家族にとって大きなものとなる場合があります。本人の意思で延命治療を差し控えることが、結果として家族の精神的・経済的な負担を軽減することにもつながるでしょう。さらに、限られた医療資源の適正な配分に貢献するという社会的な側面から、その意義を捉える考え方もあります。
尊厳死における課題点
一方で、尊厳死には多くの慎重な議論を要する課題点も存在します。
まず、本人の「真の意思」を確認することの難しさです。病状の変化によって意思能力が変わったり、周囲の空気に流されたりして、本心からの選択かどうかの判断が難しい場合があります。また家族間で意見が対立し、深い葛藤が生じる可能性も少なくありません。
医療従事者にとっても、患者の意思を尊重したい気持ちと、生命を救うという使命との間で、倫理的なジレンマや法的な責任への不安を抱えることになります。
さらに「死ぬ権利」と「生きる権利」の対立という生命倫理上の問題や、緩和ケアの普及により、必ずしも延命治療の拒否だけが苦痛を回避する手段ではないという視点もあります。社会的に弱い立場の人々へ「早く死んだ方が良い」という無言の圧力を与えかねないという懸念や、一度決定すると後戻りできないという決断の重みも、大きな課題です。
日本における尊厳死の法整備の現状と課題
日本における法的な位置づけを理解しておきましょう。社会的な関心が高まる一方で、法整備は追いついておらず、さまざまな議論が続いています。ここでは、尊厳死に関する法律の現状と、法制化に向けた課題について解説します。
日本には尊厳死を直接認める法律はない
現在の日本には、尊厳死、すなわち延命治療の中止などを直接的に認める法律は存在しません。そのため、医師が延命治療を中止した場合、刑法の殺人罪や自殺幇助罪に当たるのではないかという法的なリスクが議論されることがあります。
しかし、医療現場では法律がないからといって何も行われていないわけではなく、後述する国のガイドラインや本人の意思表示に基づき、慎重な対応が取られているのが実情です。過去の判例(東海大学安楽死事件など)が、終末期医療の判断に影響を与えています。
尊厳死の法制化に向けた議論と動き
尊厳死については、これまで何度も法制化の動きがありました。過去には超党派の議員連盟によって、本人の意思を尊重するための法案がまとめられましたが、国会への提出には至っていません。
法制化を推進する側は、本人の自己決定権を尊重し、選択の自由を保障すべきだと主張します。一方で、法制化に慎重な立場からは、濫用の危険性や、社会的弱者が「死」を選択せざるを得ない状況に追い込まれることへの懸念などが示されており、現在も国民的な合意形成には至らず、議論が継続している状況です。
医療現場のガイドラインと尊厳死の扱い
法律がない中で、医療現場の判断の拠り所となっているのが、厚生労働省が策定した「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」です(※)。
このガイドラインでは、医師などの医療従事者から適切な情報提供と説明がなされた上で、本人と家族、医療・ケアチームが十分に話し合い、本人の意思決定を最大限尊重する方針が示されています。また身体的・精神的な苦痛を和らげる、緩和ケアの重要性も強調されています。
※参考:厚生労働省.「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」.https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10800000-Iseikyoku/0000197721.pdf ,(2018-03).
まとめ
尊厳死とは、回復が期待できない末期状態で、本人の意思により延命治療を断り、自然な死を迎えることです。医師が積極的に死をもたらす安楽死とは明確に区別されます。尊厳死について考えることは、自分自身の「生き方」そのものについて、深く考える貴重なきっかけとなります。
何より重要なのは、本人の意思が尊重され、家族や医療者と十分なコミュニケーションをとった上で、納得のいく決定がなされることです。この記事が、尊厳死に関する正しい知識を得て、あなたやあなたの大切な家族にとって、より良い選択をするための一助となれば幸いです。
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