肌寒さが身にしみる冬隣。朝夕めっきり冷え込む様になりました。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
八王子滝山ファミリーホールの林でございます。
ご葬儀に参列した際、会葬礼状などと一緒に渡される塩があるかと思いますが、みなさまご存じとは思いますが「清め塩」といいます。
清め塩は自宅に入る前、身を清めるために玄関先で身体に振りかけるものとして使われます。
親から受け継がれた風習として疑問など持たずお使いの方も多いのではないでしょうか。
実はこの清め塩、宗教による考え方や地域の風習などにより使用が異なります。
古代、人々の多くは墓など持つことができず、野辺に遺体を葬っていました。
「死・腐敗」は、生あるものに伝染病などの災いもたらす忌むべきものでした。
塩に優れた浄化力や殺菌効果があることを経験から知っていた人々は、身を守るため塩を使うようになりました。
やがてそれが、形式的に『塩で清める』という形式的な行為へと姿を変えていったのではないかと言われています。
この『塩で清める』という考え方はそれぞれの宗教の死生観と密接な関係があるようです。
神道では死は穢れ(けがれ)とされており、お清めの塩はその穢れを祓う為に使われています。
ただ、お清めの塩は故人の霊に対してではなく、人の死によって寄り付く邪気を祓う為であるとされており、
それを家の中に招き入れないよう、玄関先で儀式を行います。
仏教では死後は仏となり極楽浄土へ行く為、穢れであるという扱いをされないのでお清めの塩は必要がないとされています。
ただ、実際には仏教でも一部の宗旨を除いては、お塩をお渡ししているのが現状です。
キリスト教は死後、神様のもとへ戻り、天国へ召されるとされており、塩をまくという風習はありません。
なお、神道の世界でいう「ケガレ」とは、決して死者を不浄なものとして忌避したり、ましてや冒涜したりする言葉ではありません。
神道の世界において「ケガレ」は「気枯れ」と書き、これは気が枯れてしまった状態、すなわち生命力が枯渇してしまった状態を表します。
この生命力が枯渇した状態の最たるものが「死」であり、
残された人間も例えようのない悲しみや喪失感に襲われ、同様に「気枯れ」の状態にあるのだと考えるのです。
この特別な状態から、もとの平穏な日常に戻るために使われるのが、生命の源である塩なのです。
「清め塩」という再生のパワーを受けることによって、私たちは死の悲しみにひとつの区切りを付け、
少しずつですが平穏な日常へと戻っていくのかもしれません。
コロナウィルス感染の陽性者が増加しているので、今まで以上に感染防止の消毒などをこまめに執り行い、
お客様に安心して施設を利用していただけるようにスタッフ一同心がけてまいります。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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