大正9年生まれの母は、他人のうわさ話や悪口を好まず、とても明るく世話好きな、人として魅力のある女性でした。当時としては教育熱心な家庭に育ち、旧制の家政女学校を卒業。その後は大変な戦中・戦後を生き抜き、結婚後、相模原で生命保険会社の営業社員として実績を上げ、女性としては当時希少だった支部長に昇格。私たち子ども3人を育て上げ定年まで立派に勤め上げました。毎朝スーツに身を包み背筋をピンと伸ばし出勤する姿は、私たち子どもの目に本当に凛々しく映りました。退職後は、詩吟や民謡、川柳、カラオケ、健康体操など楽しみを見い出し、人との出会いにも恵まれた人生を謳歌していたと思います。外回りの仕事が多かったためか足腰も丈夫だった母ですが、加齢による衰えもあり、週3回通っていたデイサービスにも杖をつき、支えてもらいながら通うようになりました。100歳を過ぎてから体調をくずし、在宅診療がスタートした1カ月後の早朝、老衰のため眠るように息を引き取りました。101歳でした。
私たち家族とサン・ライフとの出会いは、父がサン・ライフの会員に加入した30年ほど前に遡ります。今では家族三世代にわたってサン・ライフメンバーズに加入。母より先に亡くなった父の葬儀もサン・ライフのホールで行いました。以前、母が93歳の時に公正証書遺言を残しておきたいと言った時は、会報誌タイムスに相続サポートセンターのことが掲載されていましたのですぐに連絡。行政書士の方に色々とアドバイスをいただきながら作成し、その後も高齢の母のことを毎年気にかけてくださったのでとても心強く感じておりました。母が自宅で亡くなったことをサン・ライフへ連絡するとスタッフの柳川さんが駆けつけてくださり、昔送った父の葬儀のことも話しながら、これからの葬儀のことを丁寧に説明してくださいました。
コロナ禍での葬儀ということもあり、家族だけで見送る1日葬を希望したのですが、感染症対策として貸し切り感のある広々した家族葬の会場を用意していただき、何の不安もなく母を見送ることができました。亡くなってから葬儀までの日程が少し空いてしまうため、友人から評判を聞いていた母の身体を衛生的に保全するエンバーミングをお願いし、旅立ちの身支度を整えていただきました。葬儀前日には、生前デイサービスでお世話になったスタッフの皆さんがお別れをしに自宅へ来てくださったのですが、エンバーミング後の母の顔を見て「いいお顔をされていますね。普段通りで安らかに眠っているかのよう」と感心されていました。簡単なインタビューをもとに担当のライターの方に作成していただいた会葬礼状はよく見かける定番の文章ではなく、母の人柄がにじみ出た素敵な文章で、心のこもったお別れの言葉は受け取られた方々から良い感想をいただき、家族としてとてもうれしかったです。また、ホールスタッフの皆さんが折り鶴で「101歳」を表現したお別れの色紙を作成してくださり、お別れの際にたくさんの花に包まれた母の胸の上に納めてあげることもできました。
葬儀を担当していただいたスタッフの山本さんは、寄り添う気持ちを大切にしたキメの細かく情感のこもった進行に徹してくださり、慣れないことで戸惑う私たちを丁寧にフォローし、目配りしていただきました。葬儀後には自宅での後飾り祭壇の設営から、次の49日法要に向けての準備を整えて丁寧に説明してくださったので私たちも大変助かりました。スタッフの皆さんお一人おひとりがそれぞれの担当分野で専門的な知識を存分に発揮して、心を尽くした葬儀を行っていただき、サン・ライフの企業としての姿勢に感激させられました。数々の場面でしっかり助けていただいて本当にありがとうございました。家族の心に寄り添う葬儀を行うことができましたことを感謝申し上げます。